「やっぱりパンが好き」パン職人ライターの次なる挑戦とは

パン職人として16年のキャリアがある中村ことはさんに話をうかがいました。フランスへの留学経験があり、ライターとしても活躍されています。

本記事により、中村さんの精力的で前向きな人柄を垣間見られることでしょう。まずは行動すること、そして変化を柔軟に受け入れることを大切にされています。

新しい挑戦に迷い、背中を押してほしい方は、ぜひ最後までお読みください。

パンに憧れた幼少期

──中村さんはパン職人として16年のキャリアがあるとのことですが、やはり子どものころからパンに親しんでいたのですか?

子どもの頃は祖父母と一緒に暮らしていたので、ずっと白いご飯だったのですよ。食卓にパンが並ぶこと自体がまずなかったのです。

だからパンに憧れていました。朝食は家族全員ではなかったので、そのときにパンを食べてこんなにおいしいものがあるのだと初めて知ったのです。

小学校低学年ころに初めてパン屋さんに連れていってもらい、バゲットやクロワッサンなど多くの種類があり、キラキラして見えました。

──だからパン職人を目指すようになったのですか?

パティシエにも興味があったのですが、先生のアドバイスがありパン職人の道を選びました。

最初は短期大学で食事関係を総合的に学びました。カフェとか料理人とかどの道にも進めるように広く食について学べるコースです。その中でパンやケーキ、和菓子、和洋中の料理について学びました。コーヒーや中国茶についてもありましたね。

その後はお菓子を作るパティシエになりたくて専門学校に進みましたが、残念ながら手が温かすぎて向いていなかったのです。逆にパンであれば温かい手は発酵に有利という先生のアドバイスがあり、パンの道に進みました。

──パティシエからパン職人への転向を決意した理由は何ですか?

パティシエだけにこだわらなくても、他にも道が用意されていてよかったと思いました。

結局は手が温かくてもパティシエさんになる人はいらっしゃると思うので、それは自分の決断だと思います。だから私自身が多分お菓子に執着していなかったのだと思うんですよ。ただパンに進みたいって思ったのも、結局は食べ物関係の仕事に就きたかったのです。

でも料理は日常的にするものなので、家でご飯を作り仕事でもご飯を作るというのはイメージできませんでした。料理ではなくお菓子かパンとなると、やっぱりお菓子はキラキラしている。憧れの世界みたいなところがあり、パンやお菓子の方に進みたいと思っていました。

さまざまな経験を積んだパン職人の修行

──専門学校を卒業された後は、どのようにキャリアを積まれたのですか?

パン職人として、全国に店舗が展開されている大手に就職しました。通常のパン屋さんでは生地を練る人、生地を成形して発酵器であるホイロに入れる人、発酵が終わったら焼く人と分業しているのですが、就職先ではすべてを経験できて良かったですね。

ただ、入社当初はパン部門ではなく接客でした。レストランでパンを配ったり、パンの説明をしたり料理の注文をとったり。パンで入ったのになんで接客しているのだろうと当時は思ったのですが、個人店へ転職したときに経験が生きたのです。

オープンキッチンのパン屋ではお客さまに声をかけられることが多いので、接客に慣れていたことが強みになりました。

──日本でパン職人としてキャリアを積まれて、その後にフランスへ留学されたのですよね。

2店舗目で働いているとき、本当にこのままで良いのかとモヤモヤがたまっていました。パン職人になったときからパン屋を持つ夢をもっていたのですが、責任者として仕事をしているうちに本当に持てるのだろうかと不安になってきたのです。

フランスに行くことも夢だったのですが、自分を見つめるために日本を飛び出しました。

──フランスで修業してみるのも夢の一つだったのですね。

日本はお米文化ですが、フランスや欧米では食事の中心にパンがあります。朝の食卓にはクロワッサンやパンオショコラが並び、昼もパン屋でサンドイッチを買って食べて、夜にはバゲットが並ぶ。

そういう食生活の中にパンがある国へ行って、どういう文化の中で育まれたのか、どうパンと付き合って食事をしているのか、そういうのを自分の肌でじかに感じたいと思いフランスに行こうと思いました。

人生を楽しむ大切さを学んだフランス留学

──フランスでの生活はどうでしたか?

私がホームステイをしたのは、日本人のお母さんとフランス人のお父さん、あとハーフの女の子がいる家族でした。

日曜日の朝、お父さんはパンを買いに行くんですよね。パンオショコラとかクロワッサンとか、食べたいパンを家族に聞いてから。お父さんは帰ってきたら食事の準備をし、皆で朝食を食べました。

パンが生活の中に入り込んでいる文化というのは、旅行ではなく現地で生活してみないと味わえないと思いました。

──フランスで考え方の違いを感じたエピソードはありますか?

インターンシップをしていたとき、同僚の1人が交通事故で急に仕事ができなくなりました。残されたのはフランス人1人と私の2人。ところが、そのフランス人も翌週から予定通り1カ月間のバカンスに行ったのです。

仕事が回らなくなる状態で休みを取って良いのかと日本人なら思うでしょうが、自分の楽しみを優先して人生を楽しんでも良いのではと考えるきっかけになりました。

──フランスにはどのくらい留学されていたのですか?

留学は2019年の5月から1年間の予定でした。2020年の5月までにもし向こうで仕事が見つからなければ帰ってこようと思っていたのです。

2020年3月ころからまん延したコロナのためビザが半年延長できるという話もでました。しかし、結局は家の中に閉じこもっているだけでしたので、落ち着いてきた2020年の8月に帰国したのです。飛行機のチケットを取るのには4カ月もかかりました。

帰りの飛行機は何百人も乗れる機体なのに乗客は4人か5人くらい。エコノミーにもかかわらずどこにでも座って良いと言われ、3席くらいを使って寝るという経験をしました。

帰国後も検査で3時間くらい拘束され、しばらくは保健所に健康状態を毎日連絡しないといけませんでした。

パン職人に生きたライター経験

──帰国されてからは、またすぐにパン屋で働き始めたのですか?

はい、個人店のパン屋ですぐに働きはじめました。そのころからライターとしても働きはじめています。その後は1年半ほどでパン屋を退職し、しばらくはライターに専念していました。パンや日本文化、美容などに関する記事を書いていましたね。

ただ、自分で天然酵母を育てたり、私がパン職人と知っている方から依頼されたりと、パン作りは続けていたのです。1人で食べきれず近隣の方にお渡しすることもありました。

そうやっているときに、自分はパンが好きなんだな、と改めて思いました。

家で作るだけでなく、パン屋さんでコミュニケーションを取りながらパンを作っていく空気感もやっぱり好きだったのだと思い、またパン屋で働きたいと感じるようになったのです。

──ライターとして経験を積まれてからパン職人へ復帰し、何か変わったことはありましたか?

今は新入社員の教育に携わらせていただいています。16年間パン職人としてパンと向き合い、フランスでも経験を積んできたので、この蓄積を誰かに伝えるのも大切なのかなと思いました。

目をキラキラ輝かせながら入ってきた人たちにアドバイスをし、うまくいったと報告してくれるとパン職人に戻って良かったと思いましたね。

これまで私は先輩の背中を見て学び、感性や感覚で仕事をしてきましたが、今の時代では通じません。ライターとして言葉を扱うようになり、自分の技術を言語化する大切さを感じました。

何に対しての答えを求めているのかを考えた上で、理由を言うのか、やり方を言うのか、それとも見てほしいのか、相手のニーズをくみ取るようにしています。

──まさにライティングの技能が他でも生かせるという実例ですね。

パン職人としての強みを生かしたい

──今後、やってみたいことはありますか?

パン屋を経営しているオーナーや経営者、パンのメーカーと仕事をしてみたいです。

新商品の裏側にある開発ストーリーを記事にして紹介したり、パン屋が独自に発信しているサイトやSNSの運用を代行したり。個人店では経営者がパン職人でもあるため、情報発信が大切だと思っていても手が回らないことが多く、そういうところのお手伝いをしたいです。

取材ライターやSNS運用、Webサイトでの発信方法などを勉強して布石を打っています。

パン職人として働いてきた強みとライターでの経験を生かして、新しい仕事に挑戦していきたいですね。